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akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

熟年離婚について考えた

「あなたは私のことを、何もわかっていない」「私に関心がない証拠だ」「あなたの態度や言葉でイライラする」と、連れにはいつも言われ続けてきた。昨晩も、呑みにいった帰り道、激しい感情をぶつけられた。

これだけのことを言われ続けながら、30年間以上も一緒に過ごせる夫婦というのもどうかと思うが、それは彼女曰く「あなたが鈍感すぎる」からいられるということだ。

確かに僕はといえば、「一緒にいるのが楽しい」「いろんなことに感謝している」という言葉をつなげるだけだし、それは本当に事実には違いないわけだけれど、そんなレベルの言説や態度が、彼女には<鈍感>に映り憎しみや苛立ちをさらに助長させているのだという。そもそも僕は、<他人>というものとの関係を、ギリギリまで問い詰めながら生きているわけでもなく、彼女にしてみれば長く人生を共にしてきている親和力のようなものに頼っているだけの、ただの間抜けな男ということなのだろう。

連れは人との心づかいを希求するタイプなので、若い頃からマンガや音楽や映画などに触れ、そこにある「魂」と呼ぶようなものを探し求めているところがある。いや逆かもしれない。そもそもそういうタイプだからこそ、今も昔も物語や表現にこだわり続けそこに何かを探索する人生を送っているというべきか。

実は、僕もそんな彼女と趣味は同じ様なものが多く、何かを観たり聴いたりすることでは、好き嫌いの感覚が似ているところが多いと思っている。日常生活のさまざまな事象、小さな点における一致点はかなり多い夫婦であることは間違いない。その点はおそらく彼女もそう感じているだろう。しかし、それらの細かいポイントが、30年以上も接着剤のように二人を貼りあわせてきていたには違いないのだが、いざ本質的な議論になると全く取り付く島もない言葉の応酬になってしまうのはなぜなのか。

「あなたは私のことを、何もわかっていない」「あなたは私に関心がない」と憎しみに満ちた声音で正面切って発言されてしまうと、そんな事はないと一所懸命に弁解してみたところで、そのような弱い言葉は「ほら、やっぱり」「鈍感」といった相手の切り返しですべて回収されていくしかないのだ。

熟年離婚、という単語が浮かぶ。何十年も寄り添った夫婦が別れるというのは、片一方が抱えきれないほどの不満や悩みを持っていて、コップ(バケツの?)いっぱいになったところでおこると聞く。

僕らがなんとなく仲良くいられるのは、昨晩のような喧嘩や口論が度々行われていて、そんな場というものを常に持ち続けていることが、ある種の発散というかストレスのはけ口になってきたのだからだと彼女は言う。問題解決には至らない時間だけれど、確かに不愉快さを先送りしているだけのけして楽しくもない悲しく泣きたくなるだけの時間だけど、その時間や空間があるとないのでは全く違うと言う…。

夫婦とはいえ、自分とは違う他人が何を欲しがって、何を求めているのか? この事を理解して、ほぼそれに応えられる人同士が結ばれて夫婦になれたら理想なのだろう。しかし多くのカップルは、お互いに別な人格として「気持ちを」他のものや対象に置き換えて関係を処理しあっているか、お互いが一方通行の関係になってしまっているか、そんなゆるい関係性で離婚せずに人生を続けているのだと思う。

こと人間関係は難しい問題で、気持ちがザワザワする話なのに、長い夫婦となると共に過ごした時間が多すぎて、どこをとっても話の収拾がつかなくなる。ただ、ひとつ言えるのは、彼女には「鈍感」「自分勝手」だと切って捨てられるけれど、幸せな時間をいっぱい持てて感謝しているということは本当なんだということ。相手が同じように思えていなければ、それは自己中心的な言い分だということも理解しているけれど…。