akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

死と、となりあわせ

 

若い頃は、自分が死ぬことについて鈍感なものだ。物心がついてから自殺願望を持ち続けたというなら別だけれど、たいていは死にたいと思うような状況は、一時的に心が弱まっているだけのことにすぎない。本当に自殺してしまう若者にしたところで、実はそう死にたいわけではなくて、<うつ>のような病弱状態が突発的に自殺行為を引き起こしているだけのような気がする。

ところが、年をとってくると、否が応でも死を意識する。鈍感だった意識が急に鋭敏になるのではない。ただぼんやりと「自分だって死んでもおかしくない…」と考えることが増えてくる。「死にたい」でも「死にたくない」でもない。「死んでもおかしくない…」と感慨もひとしおになるというか、まあ、ひたすらそういった感覚だ。

確かに年齢を重ねていけば、順番で自身の親やその世代が亡くなっていくことが多くなる。さらに自分の周囲でも、唐突に訃報を耳にする機会が増えてくる。結婚式に出るより、お葬式に出席することが多くなる。自分と同じくらいの年齢の、タレントでも文化人でも誰でもいいけど、よく知らない人々の訃報であっても死を意識することになる。これが若い頃だったら特別にピンとくることもなく、自分に振りかえて考えることもなくその事実だけを受け止めたと思うけれど、いまでは「自分も、いつ死んでもおかしくないんだな」と感じるようになった。

ナニクソ!といった気持ちはない。これだけはやり遂げてこれだけは楽しみたい、といった前向きな考えがフツフツと湧いてくるわけでもない。まさに、目に見えないふんわりとしたオーラととなりあわせで生きているとでも言えばいいか。空気のようなそれを受け入れて呼吸している気がしてならない。

誰もが通る感慨なのだろうか?

象が自分の死に場所を探すではないけれど、いくつかの動物が死を前に何らかの準備をすることが伝えれている。いきとし生けるものに本来的に備わっている諦念というか、そういうものなのかもしれないね。