akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

絶望的につらい50代の記憶力

 

ここ数年の記憶力の劣化に目も当てられない。50代も半ばに差し掛かると、こんなにも記憶力が低下するのかと、日々恐怖におののいている。

 

この前に観た映画やテレビ、聴いたCD、そして最近間違いなく読んだはずの本など、確かに自分自身が接しているはずなのに内容が思い出せないことがままある。「あれ?どんな話だっけ?」と家人に尋ねることもしばしばだ。そうすると呆れた顔で「この前に観たばかりじゃない」とたしなめられる。(つまり、家人には記憶力の衰えがまだ来ていないということか)

 

ここ数年で読んだ本に関してはひどいありさまだ。確かに買って読んでいるはずなのに、あらすじを確認しても思い出せないことさえある。一、二年くらいの直近に観た映画は、確かに映画館の大画面で観て、さらに帰りに居酒屋で家人と語りあったはずなのに、そのストーリーが思い出せないことも多い。まだ観たとか読んだという記憶が残っているうちはいい。CDに至っては、ジャケットを見ても買った覚えさえないというときもある。

 

若い頃は、御多分にもれず、博覧強記ではないけれど、知識や内容をペラペラと居酒屋などで語るタイプだった。(いるよね、そういういけ好かない奴)記憶力の良さに裏付けされた語りで、それなりにどこへ行っても座持ちしていた。

 

ところがここ数年は「ほら、あれ、なんだっけ、えーっと…」という会話ばかりになってきた感がある。あれこれそれ、の指示語ばかりで会話が成り立つことさえある。当然のことながら、内容が思い出せないから、俳優やタレント、作者名やミュージシャンの名前に至ってははもっとひどい。顔は浮かんでいるけれど名前がでてこないなんてことばかりだ。

 

有名な記者・評論家の誰だったかが(ほら、ここでも思い出せない)、同じように中年期を迎えて記憶力が極端に低減したらしく、とにかくなんでもメモすることにしたということをどこかで語っていた。その仕事柄、必要に迫られて必死に続けていたらしい。もともとメモ帳を持ち歩かないし、おそらく自信があったせいか、そういう習慣が身につかなかった我が身としては、果たしてどうやってこの記憶力の低減という情けない状況に対処していくべきか悩んでいる。

 

老境に向かう人なら誰にでも訪れる、いわゆる衰えといって笑ってしまえるならいい。でもこの老化現象を「極端に」考えると、映画も音楽も読書もその時の刹那の楽しみを得るだけのものでしかなく、どうせ忘れてしまうものだからそもそも必要がない、ということになってしまう。そんなものに多くの身銭を切ることなく、もっと別な人生の楽しみを探しなさいという話になってしまう。

 

「恐怖」という言葉が相応しい現象は人生でそうそうないと思うけれど、まさに記憶がなくなっていくことの怖さはそれに当たると思う。そしてこのことは、裏を返して言えば、死への恐怖ということになるのかもしれない。