akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

知的障害者のクオリティ・オブ・ライフ

 

知的障害者には、かなり重度な症状を示す人から、軽度でほとんど健常者と変わらない人まで存在している。医学的に見ると、知能指数そのものや発生した原因による分類がなされている。僕のいる施設でも、寝たきりまではいかないけれど、機能障害を合併症として持ち突発的に暴れたりするような、ほとんどコミュニケーションを取れないタイプもいるし、小泉政権がどうしたとかの議論をできるタイプまで存在している。

教育制度を整えた明治時代より以前は、知的障害者精神障害者は西洋的な発見のされ方と扱い方をされていない時代なので、多くの重度の症状を持っていた人は家族に捨てられたり、別なかたちで死ぬことを選ばされていたと思う。そして比較的に軽いタイプはおそらく健常者と同じようにひとりの労働者として暮らしていたはずだ。

明治から150年、戦後から70年。現在の日本では、障害者の存在はその家族だけではなく、多くの制度や法律で人権が手厚く守られている。そのことは、いい時代になったなとは思うけれど、ふとこれでいいのかと思う瞬間もある。

QOL、クオリティ・オブ・ライフ。重度の障害者と接していて一番に思うのは、本当にこんな生き方をしていていいのだろうか?ということだ。本人は生きている意味もわからないわけだけれど、周囲によって「生かされている」ということ。そんな人生とはどんな人生なんだろうかということなのだ。老人の安楽死の問題でも議論される内容だけど、科学や医療の技術が発達してきて、ただ「生きる」ということに関しては、いくらでも可能になってきた。明治より以前が良いとは言わないし、必ずしも現代社会が良いとも言わない。この問題はどこに着地させたらいいのか、本当に難しい問題なのだということだと思う。