akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

滅ぶことのない記憶とは

父の写真を整理していて、祖父母の子供時代から、結婚して年を経ていく姿が納められたアルバムを見る。こういう写真は、なんだかもの悲しい。そのアルバムを見て楽しむ本来の所有者がいなくなったということもあるけれど、僕には子供がいないので、これを語り継ぐ世代を持たないということもあるせいか。いわゆる著名人でもない市井の人の写真に価値があるわけでもないから、僕が死ねばこのアルバムは自然と朽ちて行き、跡形もなくなるはずだ。

写真を見て、懐かしいとか、微笑ましいといった感想よりも先に感じるのは、人が生きていた証といったものがなくなるという喪失感だろうか。そう、確実に写真も記憶も朽ちていくのだ。

デジタル時代になって、写真や動画が簡単に半永久データとして後世に残せるようになった。きっとこれから先は、「曽祖父のまたさらに前のおじいさんの運動会の映像だよ。キミに似てかわいいね」などという家族の会話が成り立つのだろう。<100年プリント>なんていう言葉が、何の意味をさすのかもわからない時代がくる。考えられないくらい膨大な量の、<一般人>の記録が残っていく時代がやってきたのだ。今の赤ちゃんの映像が、七五三が、結婚式の映像が、数世代あとで立体的なフォログラムとなって子孫に受け継がれる世界がくる。

滅ぶことのない記憶とは、いったいどのようなものなのだろう。先祖が動いて語り続けるということは、生きている人々の暮らしにどのような影響を与えるのだろう。もちろん、そこには肌のあたたかさや、匂いはない。

僕には、持ち主を失った映像が、住む人もいない部屋で無限に映し出されているイメージが浮かぶ。いったいこの人は誰? 笑っているこの人は、何がおかしいのだろう? いったいいつの時代の映像なんだろう?

朽ちていくアルバムを見て、僕が感じた喪失感とはまったく別の感情を、未来の人々は持つことになるのだろうか。