akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

触られてもいい人、嫌な人

 

どんな人が障害者福祉の仕事に向いているのか。

 
僕の職場では、学生時代から社会福祉系の学校へ通った人や、保健・保育、医療・介護の仕事に従事してきた人がスタッフにいる。そして、まるで違う職場から転職した人や、たまたまの仕事で選んでしまった人もいる。そのスタッフたちを眺め、なおかつ自身の体験をもとに、この業界に対する「向き不向き」とは何かを話してみようと思う。あくまで個人の持論であり、一般論ではないのでそこのところはご容赦あれ。
 
一般的に共有されている福祉の世界とは、おおむね奉仕的な精神を持ち他人に優しい性格を持った人たちで成り立っているように思われている。就職先、転職先を考える時には、自分が金融機関に向いている、あるいは何かを開発する仕事に向いていると考える人がいるのと同じように、自分が誰かの役に立ちたい助けたいと考えてこの世界を選択している人も多いだろう。
 
現在、職場では毎月のように研修の学生を受け入れている。その人たちに志望動機を尋ねると、一様に人の役に立ちたいといった話をしてくれる。もちろん純粋にそう思っているのだろうし、彼や彼女たちのセルフイメージである「優しさ」に異を唱えるつもりもない。ただ、そう語る人たちの目の奥に、周囲の風景に対する戸惑いが隠せないことを感じるのも事実だ。
 
周囲にどんなものが見えているかって? それは、とても当たり前の風景。
 
ストレートに言うと、障害者福祉の現場というのは、人と人の物理的な距離が近いということにつきる。性別・年齢に関係なく、他人と物理的な接触をしあわなければならない。単純なタッチから始まって、抱きつき抱きかかえ、よだれや体臭、糞尿、出血に至るまで、他人との直接距離がかなり近い。そして、似ているようでいて医療の現場と違うのは、医師や看護士が治療という目的で、必要があって患者に触れるのに対して、障害者施設では利用者が自分の意思や介助の要求から触れてくる点が大きく違っている。もっと狭めて言うと、知的障害者の施設では、全員が全員ではないけれど、一般の空間とは違う濃度で相手から人に接触してくるということが特徴的だ。
 
ところが、人の世の風景は違っている。自分の家族や好きな人以外とは、そうそうベタベタくっつきあいたくないのが現代社会だ。満員電車だけではなくそれを回避する女子専用車両もある時代。職場でも食事処でも、当たり前に他人とのカラダの接触を避ける社会において、福祉の世界はひたすら他人との接触がある変わった風景を持っているのだ。
 
このくっつくという生理的なハードルを越えられる人、他人のよだれのついた手や頬をべちゃっと付けられてもやり過ごせる心を持っている人でないと、この世界に入ってきてはいけない。マザー・テレサのような精神を持っているかどうかとか、差別なく人に優しくできるかどうかは、実はあまりこの業界では重要ではない。
 
もし自分の適性に迷っている人がいるならば、自分の生理基準を中心に考えてみるのもいい。奉仕の心とか、優しさとか、ボランティア精神とかはあくまで心の問題であって、全く必要ないとはけして言わないけれど、目の前にある「生理的な感覚」の方がはるかに重要なことを、僕はこの短い経験で感じた。夜に眠らなければいけないタイプに夜勤が務まらないのと同じ原理。単純だけれど生理的な感覚は大切なのだということを、この世界で仕事をしていける「向き不向き」として上げておきたいと思う。