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akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

ライフログの時代

ブログを休んでました。

書くネタが無かったわけではなく、生活環境が変わったせいで、キーボードに向きあう時間が劇的に減っていたから。その時間をワザワザつくらないと、人は物を書くなどといった行為をしないものなんだということに、改めて気付かされました。

よく小説家が自分の決めた時間に起きて、机に向かうというリズムを作っているという話をするけど納得できる。一人で創作活動に従事する人は、基本的に勤勉な生活をどこかに持ち続けていないと、次々と作品は生み出せない。

話はちょっと違うけれど、ハードウェアや周りの環境が、その人のライフスタイルを変えていくというのは事実でしょう。

ちょっと前の映画を見るだけで、「おや?」と思うことがある。たとえば携帯電話やパソコンの存在。ここ数十年で日常生活を変えてきたガジェットが、小説や漫画、映画の物語や文法を変えてしまうという事実。同じ恋愛を物語っても、1970年代なら家の電話や公衆電話だったものが、今や携帯電話で深夜だろうが外出先だろうがすぐつながる。

ああ、ここで若い二人は永遠にすれ違うのだな、なんて話は作れないわけね。犯人をGPSなどで追えば、取り逃がすこともない。逆に、出会うはずのない物語を、インターネットを通して出会える設定にもできてしまう。人目を忍ぶ密会も、携帯電話で簡単にできちゃうし、遠い戦地にいる愛しい人を偲ぶなんてこともなくなり、ハーイなんて調子で画面を送れる時代なわけだから、まあズッコケな気分も甚だしい。

人の感情も、おそらく変わっていく。ライフログを残す人々が世界中に大量に発生しているということは、他人から見られる自分ではなく、自分を見ている自分を常に意識するわけだから、昔の人々の比じゃないくらい自己肯定や自己認識が進んでいくわけだしね。

そのうち、昔の映画における様々なシーンに対して、解説が必要な時代がやってくると思う。「彼は今の時代における、○○のような行為をしています」とか「彼女は○○という気持ちになっています」とか。

何事もあきらかになる時代ともいえるけれど、闇や秘密や隠し事などが成立しない時代が、物語にとっていい時代なのかどうかはわからない。