akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

脱原発や原発推進など

インターネットでは、脱原発派と推進派、そして中間にいる層を含めて、連日のように議論が繰り広げられています。著名人から一般人にいたるまで、お互いの意をくみあうこともあり、あげ足をとりあうこともあり、まさに侃侃諤諤。福島以外の震災復興では同じ意見の人でも、こと原発や放射能になると違った立場を取る人たちもいます。

この対立は大きく分けてふたつのグループにわけられる気がします。一方は経済合理性や科学的な数値の判断を基本に語る人たち。そしてもう一方は「人間性」や「倫理」といった視点を基本に語る人たちというふたつの勢力です。極めて大雑把すぎて、叱られてしまうかもしれませんが。

合理的なものの考えが強い人は数値や科学性に依拠した判断を重視し、こういった議論に情緒性を入れるのを嫌う語り口になります。そうすることが問題を「間違えない」と考えるからでしょう。一方、専門性もあり数値に長けた専門家の中にも根っこが倫理的や宗教的な立ち位置の人はどうしてもヒューマニズムや文学性を帯びた語り口になります。もちろん、どちらが愚かであるかということではありません。問題の解決、事態の収拾に向かおうとしている点では実はいっしょだと思います。

にも関わらず、どうしても話しが対立してくるのはなぜでしょう。一方はこれだけの事故を起こしたことを忘れたかのように発言・行動し、さらに体制やしくみの維持を強化しようとします。もう一方はこれらの反省のない態度に怒り、いったいいくつの事故を起こせば目が覚めるのだと叫び言いつのる。

おそらく、経済合理性や科学の信憑といった構えと、良心や倫理といった抽象的な構えとでは、どうしても相容れない部分があるのかもしれません。

議論の場にいる人はもちろんのこと、それらを観戦している人も「踏み絵」のように自分の立場を確かめることになる。その時に踏んでいるのは、どちらが人間として愚かであるかという絵ではない。ここを間違えると対立だけが大きくなってしまう気がします。ここで踏んでいるのは、大きく分けたふたつの立場の、どちらの「脳」が強いかだけがわかる絵です。

立ち位置だけがわかるその思考の絵を、お互いの攻撃材料に使わないで、ただ単純な問題の解決マップに利用できないものか。本当に難しいですけどね。