akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

死ねばいいのに

1970年代に山上たつひこの「がきデカ」で、主人公が「死刑!」というフレーズを連発することが問題になりました。コミカルなポーズから繰り出すその言葉は、子供たちの支持は受けたのですが、良識ある大人たちからは非常に不謹慎な発言として糾弾されました。

時代は変わって。

ダウンタウンの浜ちゃんが流行らせたといわれていますが、ここ何年かは、いわゆる図に乗った相手に対して「死ねばいいのに」とか「一回死んだら」とかの言葉をはくことが若者の間で流行りました。

以前ほどではありませんが、いまでもテレビや電車やインターネットの日常生活の場面で、誰かがぼそっとつぶやく「死ねばいいのに」が聞こえてくることがあります。70年代の「死刑!」は、どちらかといえば場をドタバタな状態で笑いのめすための笑いの記号という側面があった。そして「死ねばいいのに」の使い方も、当初、浜ちゃんは、より強いものや空気を読めずに調子に乗っている者をたしなめて笑いのめす使い方をしていたと思います。

ところがここ数年の使われ方は、いかに一撃で、相手や周囲を嫌な気持ちにさせるかといったタイミングで使われるようになってきた。その対象となる相手も、図に乗ったお調子者をみんなで笑うという方向から、単純に嫌いな上司に向けてだったり、先生に向けてだったり、気に食わない同級生や同僚、知り合いに向けてというふうに変化してきています。

この言葉を浴びせられた対象も、以前なら図に乗っていた自分のどこか傲慢な側面を笑いの中で否定されていると感じて、自分自身もその笑いの中にいることができた。ところが今では、相手に面と向かって言われることが減ってきて、影で悪口を話す場面や、個人の頭の中で気に食わない対象をトレースする時に使われるようになってきました。つまり、この言葉は本当に相手の肉体や精神の死を希求し、まるで呪いや死のおまじないをかけているような場面で使われるようになってきたのです。

時々、そこに居ない誰かを対象に抑揚を欠いて発せられる「死ねばいいのに」という言葉が聞こえると、心臓がばくばくすることはありませんか? 脈絡なく突然にその言葉に接すると、居心地の悪いことこのうえない。それくらい強いフレーズです。

僕自身も聖人君子でもないので、時々は頭の中で「こいつ死ねばいいのに」と反芻することもあります。けれど、育った時代なのか性格なのかは知りませんが、「がきデカ」のこまわり君の「死刑!」のポーズをよぎらせ、すぐに笑いや倫理的な否定を入れて殺伐とした心を回収しようとしてしまう。本当に残酷に思っていたとしても、良心的な回路を自動的に働かせてしまうのです。

人を呪わば、穴ふたつ。その対象だけではなく、呪った自分も地獄に落ちるという意味ですが、いまの若者が使う「死ねばいいのに」には、呪った自分がどうなってもいいという投げやり感が色濃く出ていて、その絶望感のようなものが伝わるからこそ、これだけ聞く者を不安にさせているような気がします。