akimof の日記

酔いどれアキモフは、電気羊の夢を見るか?

北朝鮮とネット社会。

感性と呼ばれるものは、あらかじめ備わっているものではない。ほとんどが外的要因、その人を取り巻く時代や周囲を固める文物(ハードウェア)の中で熟成され、かたちが作り上げられるものなのだ。テレビが普及すればそれに即した形で感性が育つし、携帯電話をみんなが持つようになれば、それに寄り添う形で新しい感性が生まれてくる。

政治や宗教、そして表現の自由を語るときに、その話題の例証としてたびたびあがるのが中国のインターネット事情。国家による情報のコントロールが、国の自由化を遅らせて阻害しているのではないかという議論だ。ところが、キム・ジョンイル死去で揺れる北朝鮮では、この中国でさえ「はるか先進国」と見えるくらいに、情報端末の普及が遅れていると思われる。まがりなりにも情報機器が普及した中国に比べて、北朝鮮においては、その地方に行けばテレビの世帯普及率でさえあやしい気がする。おそらく、ごく一部の選ばれた層だけがパソコンや携帯電話を与えられ、国内のネットワーク網だけで通信を行っているのが実情ではないだろうか。

今年、アフリカの国々でおきたいわゆる「フェイスブック革命」は、そこそこ情報端末が普及しながらも、国家によるIT技術に対する情報統制が必ずしも上手くいっていない国で生まれた。これらの民主化運動が明らかにしたことは、テレビという大規模な放送施設の必要なメディアは国家による管理を容易にするけれど、個人が網の目のように情報を行き来させることのできるPCや情報端末はコントロールが難しいということだ。こうした機器の普及は、経済発展を名目とする国家とすれば好ましいことであるが、同時に統治という側面から考えると両刃の剣になることをあきらかにした。国民が、それまで大きく感じていなかった政治的な疑問や民主化の意味などの、いわゆる革命をかたちづくる「感性」を共有するようになるためには、ハードウェアの普及が大前提だったのだ。

ひるがえって北朝鮮を考えてみると、そこではいまだハードウェアの大規模な普及はおきていないとみていいだろう。国営番組を流すだけのテレビやはんだ付けされたラジオ以外の情報機器は普及していない。おそらく電話でさえも、個人が自由に使える状態にないのではないかと推測される。仮に世界に繋がらないまでも、国内でのメール情報をやり取りする術さえ、ごく普通の国民は持っていないだろう。これでは、国家を転覆させる意味どころか、虐げられた者たちが行動を起こす意義さえも共有することはできない。民主化の萌芽と呼べるものでさえ、まだ国民の「感性」の中で育ってはいないはずだ。これまで、核開発を進めロケットを打ち上げる技術を謳いあげてきていても、パーソナルな情報機器を国民から奪ってきた北朝鮮は、アフリカやイスラムで起きたような市民による蜂起などとは無縁の段階にいる国家といっていい。

これから軍部による権力闘争や内紛は起こりえるだろう。しかし、国民の意思による民主化の流れが生まれるかどうかに関しては、「器」の普及がない現在ではほぼ不可能とみるべきだろう。